中身って何だろう、空っぽって何だろう。読書で中身はできるのか?
中身って何だろうな、改めて考えてみると。
私は中身が空っぽだと思った。
専門性の空っぽ
例えばブログの作り方やSNSの使い方を学んだところで、
私には発信できるモノが無い。
これは空っぽだからだろう。
言葉の空っぽ
例えばアニメや音楽や本を観た時に、感想を何も言えない
これも別の意味で空っぽだと思う。
感性の空っぽと言えるかもしれない。
具体性の空っぽ
例えば本に出てくる「事例」のところを
深く読み込まないで飛ばしちゃう。
だから頭に入ってこなくて、これも空っぽ。
当事者意識の空っぽと言えるかもしれない。
本を読めば中身ができるのか
2024年10月の私は、とにかく本を読みたがっていた。
本を読めば、中身ができるのではないかと。
ただ、この時点で疑っていた。
知識をメモしても忘れてしまう。
おそらく「そうじ力」のように実践し続けないと忘れる。
あるいは小説のようなエピソード記憶でなければ忘れる。
25年4月現在、読書は少しずつ続けている。